宇都宮社長にお話を伺いました。
インタビュー:田中所長、大嶋
田中 私が平成30年の11月にプロスパーで仕事をするようになって、大
嶋さんが入ったのはいつだったかな?
大嶋 私も平成30年で10月でしたね。なので6年ほど担当させて頂いています。
社長 確か私が代表になる前、先代から変わる直前ぐらいは田中先生が直接監査に来てくれてましたよね?
田中 そうですね。他に職員もいましたけどバタバタしていたもので、当初は私が直接関わらせて頂きましたね。
社長 あの時はお互いにバタバタしてましたね(笑)
大嶋 代表になられたのは私が来る前だったので、もう7年(?)8年くらいですか。
社長 そうですね。もう7、8年になりますね。
田中 まぁ、今日は竈地獄様だけではなく、関連会社の宇都宮観光様も含めて、お話が聞けたらというところでよろしくお願いします。
社長 よろしくお願いします。
― 宇都宮社長の経験談 ―
大嶋 これまで色んな経験をされてきたと思いますが、印象にあることなど
ありますか?
社長 そうですね。私は学生時代を福岡で過ごして、就職は地元を考えていました。卒業後、すぐに父の下で仕事をしようと思っていたのですが父から「一旦外で働きなさい」と言われまして。丁稚奉公で(笑)。
田中 それが杉乃井ですか?
社長 そうです。今のオリックスになる前から勤務してて、1年現場を経験して、その後9年は総務・経理をしてました。
田中 いま考えるとそれが良かったですよね。
社長 もうかなりシビアな時期を経験しまして、会社が民事再生をして、経営が変わるってこういう事なんだなってことを知りました。
大嶋 すごい経験ですね。
田中 まさに経営が変わるってことを経験して、この竈地獄の経営を変えていったと。当初は竈地獄の株式持分の大半は別の方で、当時はなかなか経営にタッチできなかったので長い間、厳しかったですよね?
社長 そうですね。
田中 そこで会長が別の会社、いわゆる宇都宮観光を設立して、最初はお土産品販売がメインでしたけど、社長が会社に入られるときは会長が竈地獄の運営にかなり積極的に関わっていました。
社長 そうですね。でも、当時帰ってきた時は昔のように団体のバスが入ってくるわけもなく…。
これからどうやって取り組むかを考えてたんですけど、そんな時に杉乃井を同時期に退社した先輩からある誘いを受けまして、それがインバウンドの事を学ぶために韓国へ行くことだったんです。
― コロナ禍での取り組み ―
大嶋 コロナ禍も経験されて。
社長 コロナの時は逆に色々を整理できる良い期間にできました。資金も大変でしたけど、蓄えもあったので深くは考えませんでした。
大嶋 最初からコロナ明けには3年かかるっておっしゃってましたもんね。
田中 あと、コロナ前も政治的な問題で厳しい環境でしたけど、人員を相当増やしてましたが、コロナ禍で人員削減はしなかったですよね。
社長 それはもう社員の前で宣言してましたから。杉乃井の時にそういった人員削減の辛さを経験してましたから…。だから、絶対に雇用は守らないとと思いまして。あとは国からの補助を活用できましたし。
大嶋 雇用調整助成金を活用されてましたね。
社長 それと当時、導入したのが食事補助等の福利厚生ですね。ニュース番組で「第三の賃金」って言われてましたね。
田中 チケットレストラン※とかですよね。当事務所も面白い制度なので導入しましたが、社長から初めに話があったの?
※チケットレストラン:㈱エデンレッドジャパンの「食」の福利厚生
大嶋 そうです。所得税の要件などもクリアしてるか確認して導入を促しました。
社長 そういったものを導入したのも、当時はなかなか賃金のベースアップができなかったので福利厚生ってことで食事補助を入れたり、あと販促のために自社商品の開発に時間をかけましたね。メーカーさんとも打合せする時間が十分ありましたから。
大嶋 確かに自社商品もかなり作りましたよね。
社長 そうですね。コロナの時期があったからこそ、いろんなことを考える余裕ができたので、コロナ禍を有意義な期間にすることができましたね。料金やたまごとラムネのセット販売とか。
田中 いろいろなアイデアがあって、それを実現していったと。
社長 それを形にしてくれてたのが、社員なんですよ。
田中 社長の考案を社員が形に…。良い会社の模範というか。
社長 地獄めぐりが数ある中で、やっぱり一番でありたい、お客様に1番よかったよと言ってもらいたいという思いが社員一人一人にありますね。
田中 社長はその思いをどうやって伝えてるんですか?
社長 今はインターネットで情報を収集できる時代ですから、口コミ等でいかに竈地獄を選んでもらえるかを月1回ですが、全体朝礼を実施して情報共有してます。
― 今後の展望 ―
社長 新しく入ってきた社員は今の来場者数が当たり前になってて、これま
での過去を知りませんから、観光がずっと多いままで推移することは
ないと、波が大きいから来場者が多いときに稼ごうねって共通意識を
持つように促してますね。
田中 いつ何があるかわかりませんからね。
社長 そうですね。だから今が決して良いとは思っていなくて、いずれは施設を変えていくとかも考えてますね。
大嶋 現状に満足せず、常に進化し続けてますよね。
社長 なので、施設内に休憩スペースを設けようかなと。まぁ、甘味処をイメージしてるんですが…。
田中 おぉ!そうですか!
社長 あとは物販のスペースを拡大したりなど、まだなんとなくではありますが考えています。自分が活きている間にそういったことができたらいいなと。
田中 加えて社長は対外的にも活躍されて。
社長 まぁ、地域貢献じゃないですけど、生きている間に社会に貢献出来たらなと思ってますし、何より社員の幸福度を上げることができればと思っています。
大嶋 素晴らしいですね。
田中 外でも中でも活躍されて、社長がいない間に社員さんも頑張ってらっしゃって。本当に素晴らしい企業ですね。本日はお忙しい中、取材に応じていただき、ありがとうございました。
社長 こちらこそありがとうございました。
(写真 左後:宇都宮社長 左前:大嶋 右:田中所長)
― 竈地獄発祥の地 ―
大嶋 まずは歴史や特色が聞ければと思うのですが。
社長 歴史と言えば、今年で創業から117年になりますね。当初は内竈の方で開業して、元々は八幡竈神社に地獄の蒸気で蒸したご飯をお供えするのが始まりです。なので、その神社から由来して「竈地獄」になりました。
田中 最初は内竈だったんですね。じゃあ、今の立地よりもまだ下の方で。
社長 そうなんです。宇都宮家が内竈出身でそこが発祥の地です。創業者は私の曽祖父の祖父でして、私で5代目になりますね。その後、曽祖父の時に湯量が枯渇したのが原因で泉源を探すこととなり、今の場所に移転しました。
田中 移転は戦後すぐですかね。
社長 株式会社になったのが昭和22年なので戦後からちょっと経ってからですね 。そこから、環境を整備していって、観光地化していきました。
田中 地獄の中でもここまでの駐車場を持っている所はないですよね?
社長 そうですね。私が子供の頃から団体のバスが来ることが多かった場所ですから、やっぱり、観光バスが停めやすいんですよね。そういった面で環境にも恵まれたことが今に大いに活きています。
― 足で稼ぐ営業と経営権の獲得 ―
社長 当時から日本は今後、右肩下がりに人口減少に向かう時代だと考えて
いて、収益を上げるためにインバウンドの事を学びに韓国へ行きまし
た。最初は旅行感覚でしたけどね(笑)。
大嶋 それがいつぐらいの時ですか?
社長 私が32歳の時で、ちょうど20年前ですね。
田中 その頃くらいに竈地獄では、パフォーマンスをするようになったんですよね?
社長 そうです。
田中 それまで地獄っていうのは見せるだけで、唯一パフォーマンスと言えばワニがいる所で餌をあげるようなものだけでしたからね。
それが見せるだけではなく、来客者をおもてなしする感じで楽しんでもらうパフォーマンスを考案したと。
社長 そうです。会長がそれを始めて、たまたまその時に韓国のガイドさんたちが下見に来られたこともありました。それと同時期に韓国の旅行会社へ訪問して竈地獄のPRをして、その後だんだんと団体が増えだしました。
他にも噂を聞き付けた韓国の旅行会社の方が来るようになって、とにかく必死で名刺だけでも配るといった営業活動をしましたね。その甲斐あって、結果が出始めた時に当時の筆頭株主が事業売却を検討し始めたんです。
田中 評判がよくなったのを聞き付けて、いろんな業者が目を付けてきた時期でしたからね。
社長 でも、会長と「竈地獄を宇都宮家でやっていくんだ」と話をしていて、あの時は田中先生にも尽力して頂きました。宇都宮観光で資本を買い取る資金も何とか調達できて、そこから本格的に事業がステップアップしていきましたね。
田中 資本を買い取って経営を主とするようになったこと、年に何回か韓国へ行って、営業努力を行ってきた布石が安倍政権の影響でインバウンドが増加した時に活きましたね。
足で稼ぐ営業力が発揮されたというか。
社長 まぁ、根本的に人に会うことが嫌いじゃないので。また、そうやって食事したりとかゴルフに行ったりとかも楽しいですし。それが回りまわって、仕事に結びつきました。そうやって動いているといい仲間に恵まれていって、現に経理やまとめてくれてる本部長もそうですね。
田中 それも杉乃井の時の人脈というか、仲間がね。
社長 そうです。会社が良くなっていく過程で紆余曲折ありましたけど、今が本当にいい体制になってて、当時の自分には良い試練でしたね。つらかったですけど。
― 導入している会計システム ―
田中 FX4クラウド※を導入した当初は社長ご自身が入力されてました
ね。※㈱TKCのクラウド会計システム
社長 人員が増えるまで窓口業務と経理業務を並行して、自分でやってましたね。今は細かい仕訳などの事務を妻や経理部長がやってくれてますけどね。
大嶋 その経験で全体を理解してるからこそ、業績管理というものがすごくできてらっしゃる印象です。我々が取り組むべきは正しい数字、正しい会社の実態を把握して頂くこと。日々、会計入力されているのでクラウドのシステムでリアルタイムの数字も把握されてます。
社長 そうですね。だいたい月次の利益や経費、そして前月比は確認しています。
田中 経営計画もですね。
大嶋 そうですね。経営計画も毎期、月次ベースで素案を社長から頂き、当事務所の計画ソフトに落とし込んでいます。
田中 やはり、社長は数字に強いですね。
社長 強いというか慣れたというか(笑)。サラリーマン時代は数字が嫌いで、ましてや経理なんて嫌だと思うくらいでした(笑)。
でも、やっていく中で面白みを見つけて、杉乃井を辞めた後ですけど、簿記の試験を受けるまでになりました。
しかしながら、会社ごとで経理はスタイルが違いますし、実体験が大事だという印象です。
大嶋 現場を経験されているからこそ、計画を上回る実績を出してらっしゃるのだと思います。その時々に合った計画を作成して業績管理されてますし。
田中 それも史上最高というか。
社長 そうですね。10年前や私が戻ってきた時には考えもしなかった数字になってますね。当時は地獄自体も活気がなかったからですね。
田中 そこに火をつけたのかもしれないですね。
社長 今は社員も増え、売上も伸びて、それをしっかり還元する。社員に一時金やベースアップで業績を反映するってことが大事ですね。
田中 社員さんは現場の忙しさや来場者数を肌で感じてるでしょうからね。
社長 その点ではAirレジを入れてるので人数や単価が見れるようになってまして。
大嶋 社員さんも見れるんですか。
社長 そうですね。端末で見れるようになっているので今、いい状況だなと肌で感じれるんですよ。それに伴って、社員同士で競争意識が生まれたりもしてて。
大嶋 加えてインボイスの対応や相談も早く、社員さんのレベルの高さを感じますね。
田中 そういったときの当事務所はどうですか?
社長 非常に頼もしいですね。システムも使いやすいですし、大嶋さんや田中先生も本当に頼りにしてます。
田中 月次で監査もしてますし、税制改正など相談や対応はどうですか?
社長 本当に対応が早いなって印象です。特にTKCシステムはどこのベンダーさんよりも早いですね。
大嶋 当事務所としてもお困りごとをプロスパーに相談して頂けたらワンストップで対応できるっていうことを目指しています。当事務所から提供できるサービスはフル活用されており、竈地獄様には証憑保存機能や電子納税かんたんキットなども活用して頂いてますね。
社長 電子納税は銀行まで納付書を持って行って手続する手間が省けましたし、やはり社員に余計な手間をかけさせたくないので本当にいいなと思います。